調査報告書を書かねばならぬ

インターネット利用に関する全国調査の報告書を。
〆切は来週(泣)。
臨戦態勢にはいるため、まずQUEENをかけて雰囲気づくり(笑)。
あ、いかん、BGMにならずに、ふつうに聴いてしまっている...


出だしで躓いたので、次に、とっちらかった部屋の整理をして雰囲気作り。
ああ、逃避行動。
でも、めんどくさい作業なのよ、データの統計処理って、情報技術がこれほど発達した今でも。
調査票やらプリントアウトやら資料やら、広げまくってながめまくらんと、すぐ訳わからんようになるし。
そうゆうわけで、机の上に広いスペースが必要なのだ。
だから、部屋を整理しなけりゃいかんのだ。
これで、いいのだ。


もはや不要になったコピーや書類や切り抜きを処分。
する前に、いくつかここにスクラップしておく。

可能世界

『文藝』1994年冬季号の「可能世界についての四つの可能な質問」より。
質問作成は三浦俊彦氏。
4つの質問というのは、おおざっぱに書くと

  1. 宇宙が始まり、生命が生まれ、意識が生まれる。この確率はほとんどゼロに近いといわれるが、現に生命、意識は存在する。この不思議を説明するための仮説として、次のどれに真実味を感じるか?魅力を感じるか?(で選択肢が並ぶがそれは省略)
  2. 現実にあなたは死ぬ。この悲しい感情に対する慰めとして効果がより大きいのは、次のどちらか?(選択肢は略)
  3. 必然的存在、つまりどの可能世界にも必ず登場する存在者はあるか?
  4. ボールペンを持ち、「ああ、私がこのボールペンだったらなあ」とつぶやき、「そしてこのボールペンが私だったらなあ」と付け加えてください。さて、あなたがこのボールペンであり、このボールペンがあなたであるような世界(  )?この(  )に適語を入れ、問いを完成させ、その答えもお願いします。

これに対して、永井均やら山内志朗やら飯田隆やら清水哲郎やら、そうそうたるメンツが答えているのだが、すげーと思ったのは、「本来、愚かな質問に答える必要はない」で始まる土屋俊さんの回答。

しかし、「可能世界」の概念は、分析哲学が一九七〇年以降比較的まじめに啓蒙につとめてきた概念であるにもかかわらず、三浦氏のように、実際にはほとんどなにも理解していなくてもなお自分ではその概念を使っているという錯覚を持てる人がいるという現状を考えて、あえて「解答」をしてみよう。しかし、この解答の意図は、まったく質問に答えることではない。むしろ、その質問の意図と背後にある誤解を吟味することである。


お怒りはごもっともかもしれませんが、出だしからここまではっきり言うのは、すげー。
対比するに、飯田隆さんは「優しい」人であることがよくわかる。
たぶん、同じことを思われたにちがいないが、分析哲学的に興味ある返答の可能な第三の質問にだけ答えて、他の質問は「興味深いものですが、私の考えではどちらも可能世界の概念とはあまり関係がないと思えますし、私自身ひとにわざわざお聞かせするような意見は持ち合わせておりませんので」と、やんわり謝絶だもんね。
その第三の質問に対しても、土屋さんは「必然的存在の例は、0、1、π、無限などの数、真理値などの論理的対象などである。こんなことがなんで質問になるのかわからない」と手厳しい(私のようなシロウトが考えても、そうだとは思うんですが)。
第一の質問にいたっては

この質問には、生命と意識が存在することは「不思議なことである」ということが前提にされているようである。しかし、……現に、「意識と生命の存在の確率」が0ではないといっているのだから、確率0でないことが起こることが不思議なはずはない。なぜ今のわれわれが生命と意識をもっているのかという問題を考察しようとするならば、それは「この」世界について研究すればいいことで、「可能世界」とは無縁である。可能世界(の集合またはクラス)とは実現してない別の世界のことではなく、この世界の表現に意味を与えるための数学的構成物にすぎない。この点こそ、分析哲学者が長年にわたって教えようとしてきたことであるが、文学者には聞く耳も理解する頭もないようである。


第二、第四の質問への答えはとばすとして、「全体について」のコメントは次のとおり。

このような誤解の集積が実は三浦氏独自のものでなく、ある程度普遍的な現象であることは知っている。とくに、可能世界意味論をやるという言語学者に顕著な現象であることも付記しておこう。
たしかに、分析哲学の概念としての可能世界は、そのテクニカルな側面を強調されすぎて、三浦氏のような連想ゲームの世界への飛躍に欠け、面白くなくなってしまう傾向にあることは認めよう。しかし、実際には、そこではじめて役に立つ概念になるのであり、想像力をいくらたくましくしても、可能性の概念を理解することはできないのである。実際、想像可能な世界はそもそも可能な世界の部分集合であろう。したがって、文学者に出番はない。


んでもって、この回答全体のタイトルが「文学者に出番はない」。
すげー。
ここまでビシッと言えるのが、「専門家」ってもんでしょうね。
シロウトはシロウトなりにちゃんと勉強する姿勢だけはもたねばと自戒。

なぜ大学で勉強するのか

朝日の夕刊(大阪版)03年12月12日に載ってた「みうらじゅんのお悩み祭り」から。
こんなお悩み相談でした。

私は大学生なのですが、あまりにも大学の課題が面白くなく、何の役に立つのか疑問に思えてしまい、全く課題が進みません。


そうだよねー。
って、大学教員が共感してちゃいかんか。
みうらじゅんのお答えは、こんなやつでした。

田山花袋!」と言われて、「フトン!」…とツッ込めた自分がうれしくなる瞬間があります。現場は主に飲み屋なのですが――
…(略)…。
学生時代と違い大人になると共通の友達もいなくなり、共通の話題もなくなります。そんな状況下で一番大切になってくるのが“センスが合う”ということです。……。それをしこたました後は学生時代、どれだけ役に立たない情報をゲットしたかのバトル・トークです。
耶律阿保機!」とか、「屈葬!」とか、「モヘンジョ・ダロ!」とか、そーゆーものです。
教育とは結局、後に飲み屋で盛り上がるためのネタなのです。「そんなの知らない!」と、ふてくされ者にならないように学生時代から勉強しましょう。


そのとーり(笑)。
大学とは「教養」を身につけるところです。
「教養」といういかめしいことばに惑わされてはいけません。
とどのつまりは「飲み屋でのネタ」のことです。
大学にしごとや生活で役に立つ知識やスキルを求めてもいけません。
役に立つ/立たないの基準にのっからない(まあ、その基準でいくと主に「役に立たない」)教養=「盛り上がるためのネタ」を身につけるのが大学です。
大学とはそーゆーところです。
それで、いいのだ。

オウム

今は廃刊した雑誌『03』1991年6月号(新潮社)に掲載された「麻原彰晃 vs. 荒俣宏 サイキック対談 人はなぜ現世を超えるのか」より。
その前書きとして荒俣宏の書いた文章は「麻原彰晃はきわめてオーソドックスな20世紀チベット仏教派の新宗教の教祖だ、と思った」から始まる。

かれがオーソドックスである理由は、
(1) 修行
(2) 師
(3) 神秘的覚醒
チベット小乗仏教3要素がそなわっていたからだった。すなわち、絶対的な師のもとで、出家修行し、死や狂気とスレスレのところまでいって宇宙的覚醒に到達する。
…(略)…。
今回、富士のふもとにあるオウム真理教の道場へ出むいて、麻原彰晃と話をするうち、私はますますかれにある小乗派のオーソドキシィを感じた。
まず道場だが、手づくりのプレハブで殺風景。だだっぴろい大広間に、ミカン箱を置いて麻原尊師の写真を貼りつけ、ウォークマンでテープを聞きながら行[ぎょう]にはいっている若者たち。これで全員墨染めの衣をまとい、根本中堂のような凛とした大伽藍で行にはいっていれば、「厳粛な修行」となるのだろうが、こういう手づくりの場合、「異様なる後景」と見出しがでてしまうに決まっている。
もちろん私は、右も左もわからない十七、八の若者を集めて、ひとりで師を気取る手合いに一切の共感をいだかない。この世に完璧な師などいない。しかし、たしかに幻想の師をもとめようとする若者たちがいて、それにほだされる“年長者”がいるにはいる。麻原尊師もまた狂信的な若者を背景にした、いい気な教祖かと危惧したが、うれしいことにそうだはなかった。

(p.55)


そしてこう続けている。

麻原彰晃は、教祖にしては異常なほど気配りする人である。一連の社会問題をひき起こしているせいか、独房修行を中止するなど、かなり社会に気を遣っている。私ならば、どうせ社会なんぞ地獄の亡者の集団だから、と無視したところだろう。
また、かれの弟子たちについても麻原はかなり客観的な見かたをしているのが興味ぶかかった。麻原は、たとえば殺人のような反社会的行為をおかす弟子がいないとは限らない、と考えている。すくなくとも私はそう理解した。ところが、最初私はオウム真理教の出版物に、一家そろって入信した家族が幸福そうにしている写真を見て、そのあまりに無批判な〈家族主義〉賛美に反発を感じたので、麻原尊師にその点を尋ねてみた。まっとうな判断力のない子が、親の勝手で入信させられたあと、成人してオウム真理教を拒否することもあるんじゃないですか、と。
すると麻原尊師は、「そのとおりです。現に、名古屋で、ある子供さんが修行はいやだといって教団をぬけたケースもあります」と答えてくれた。
宗教は一種の自己成就的預言を現実に実践させるシステムであるから、無理難題もあれば、飴や鞭もある。脱けそうになる信徒に対しては、うそも方便で、嚇してでも修行をつづけさせるのが先輩や師の“情[なさけ]”だ。教団生活とはそういうものなのである。そこを自由にしている教団というのは、むしろ少ない。
それは、簡単にいえば、逃げだす者を許す、ということである。麻原がむしろオーソドックスな導師であることの証拠が、弟子への冷静さにある。「神秘力をもてないような解脱は、解脱じゃありません。これが私たちの定義です」といい切った麻原にすれば、ここは義務教育の道場ではない、ということなのだ。この教団で伝授する超絶的な知恵は、それにふさわしい弟子にだけ伝えられる。そのための選択が修行なのである。プラトン的な発想だ。

(p.56)


「したがって」と荒俣は続ける。

したがってオウム真理教が、麻原の「空中浮遊」写真や、透視の実例を、出版物を通じて社会に流すことも、また、ごく当然な行為といえるだろう。超能力を身につけなければ、修行の意味がないからである。
もちろんこの言い回しには留保点もある。麻原が神秘力といい、世間一般が超能力と呼んでいる「解脱の証明」としての最高度の“知恵”は、個人体験によってしか理解できない性質のものなのだ。ただしこの問題は、これ以上深くも浅くも論じられない。
もうひとつ、麻原彰晃と出会って好ましく感じた点は、かれがかなり寛容な人物だったということだ。きたない家と粗末な食事に甘んじている、といった世俗的問題から発して、社会や弟子との対応まで。どれも、幼さに似た無邪気な寛容さがあった。…(略)…。私はそれでも、ベンツに乗っていることと、ケイマ女史が奥さんのように何くれと世話を焼く姿とに、ある種の疑問を感じたけれど、これも安全のためとわかった。なぜなら、かれは強度の弱視で、現在はもうほとんど目が見えないからである。
くり返すが、現世には真の師や魔術師が存在しているとは思えない。まして日本の現状では。だが、そのことを別にして、私は麻原尊師にかぎりない好感を抱いた。おそらく、解脱した者は幼児のように他愛もないか、あるいは阿修羅のように狂熱的であるかの、どちらかだろう。多くの解脱伝説に述べられているように。麻原彰晃がほんものの解脱者であるとして、かれが示す寛大の姿勢は、あきらかに前者の例といえるだろう。

(p.56)


95年の地下鉄サリン事件の4年前になされたこの発言を、現在から遡って断罪するつもりはさしあたりない。
ただ、荒俣氏を含め、95年以前に、オウムについて何ごとかを語っていた人々は、今また何ごとかを語るべきではないか。
「へー」のボタンを押してばかりいずに。


サイゾー』3月号の松原×東谷対談から、「エコノミスト」に対する松原隆一郎さんの発言を引いておく(p.116)。

もちろん、エコノミストは以前と違うことを言っても構わない。でも、それにはいくつかの条件があります。自分が主張する政策が実行されたら、それによって倒産などの実害を被る人が出る以上、その言論に責任を持つ義務があります。だから発言を替える際には、自分の事実認識が間違っていたのか、それとも現実が変わってきたからそれに応じて発言を変えたのか、それとも発言の背後にある理論を変えたのかを明らかにすべきでしょう。